自分の経験の枠組みは自分で変えられるか? - アンカテ(Uncategorizable Blog)
例によってメタな方向に話を広げようと思うんだけど、Ruby VS PHP論争の背後には「自分の経験の枠組みは自分で変えられる」という発想の有無という問題があるのではないだろうか。 そう思ったきっかけはこれ。 影響力のある人 - L’eclat des jours(2008-01-31) artonさんは、Matzにっき(2008-01-29)のコメント欄にあった、「影響力の大きい人が発言してるので怒ってます」という一言レスに...
http://d.hatena.ne.jp/essa/20080131/p1
スキル・経験による認知限界の差ということ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/essa/20080131/p1
これは素晴らしい洞察。この空気を作り出した ruby のコミュニティは賞賛に値する。 / なるべく多くのエンジニアに「自分の意見を入れられる場」へと出てきて欲しいと思うんだが,どうすれば叶うのかなぁ。
ここにもRubyがマジョリティになれない理由が1つ。おそらくRubyistは自らこの自由を捨てようとはしないだろうが、捨てないとマジョリティにはなれない。トレードオフの関係にあるだろう。
言語による空気の違いを分析。ギークとスーツの分岐点。
米より"共用レンタルサーバの多くはPHPとPerlしか動かなくて"←そういう環境を変えようと努力すればいいんじゃね? 「Ruby載せてください」と。 やっぱりそういう発想がないのがPHPerということでFA?